手首の使い方 

ショパンの腕は静かだが、手首は自在に動いていた。

腕を大きく外に回してピアノを弾く姿をよく見かけます。
この動きが伴うと下から上に向かって音楽を作るようになってしまい、ホールが大きくなるほど響きは濁りだし聴衆は音を聴き取れなくなります。

運動が大きい演奏は、演奏者は音を全く聴けていません。この聴けていないという事実は本人以外でないと分からないのが難点です。
奏者は極めて上手に弾いていると思い込んでいることが多いですが、自己満足な演奏になっており聴衆は置いてけぼりなのです。

試してみてください。一音をペダルで伸ばしたまま頭をゆっくりと前から後ろに動かしてみると、音の聴こえ方は全然違うはずです。
強弱で体を揺らす方は多くいますが、それは自分がそう聞こえる位置に体を移動させているにすぎず、実際は客観性を失った音楽になっています。
もちろん聴衆に届く音は自分には聴こえていない音ですので、聴衆は自分に聞こえる音と演奏者の熱さのギャップを感じ置いてけぼりになるのです。

客観性を持ったまま響きを作るには、体の使い方が大きく関わってきます。
体の使い方を理解しないままピアノを弾いていると、体は本来持っている自然さを失い能力を発揮できません。

手首を自由に使って!

よく言われる言葉です。自分は使えていると思っている方も多いと思います。
重要なのは自在に使えていることではなく、どのタイミングで使うかなのです。これを間違っていては、まずホールを満たす響きは得られません。
そして間違ったタイミングで手首を使っていると、肘は力を逃がすために外側に旋回してしまいます。
肘を使って力を抜くという発想でピアノを弾いている方は多くいますが、これはそもそも無駄な力が指先と手首に加わってしまっているのです。
無駄な動きは、芸術を壊してしまいます。

ショパンは肘を旋回する動きを嫌っていました。このような言葉も残しています。

なかなか上手になってきたが、肘を使いすぎている。 ショパン

つまり弾き方が根本的に違っているのです。そして音楽も自ずと違うものとなってしまいます。

では、どのようにすれば改善できるのでしょうか。これは手首を使うタイミングを意識することによって改善されます。

手首を使うタイミングは、「弾いた後」ではなく、「弾く時」なのです。

弾いた後に力を逃がすために使っている方がほとんどではないでしょうか?

この使い方は間違っており、これでは指先が支点になってしまい腕の重さは鍵盤に伝わりません。
ピアノを弾く時の支点は指先ではありません。

ショベルカーを思い浮かべればわかると思います。地面を掘るあの重機は腕にそっくりです。
ショベルカーが先端だけで地面を掘ることは不可能です。

根元から先端に向かって順番に動いていく。これが自然な動きなのです。

テクニックは、物理的に自然な動きを追求することが一番大切だと思います

私は、この手首の使い方に気がつくまでに一年かかってしまいました。

あとは、響きを求めないといけません。こればかりは文章で説明することは不可能です。
アルゲリッチ、プレトニョフなどのコンサートで実際に生の音を聴いていただきたいと思います。

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