ショパンピアニズムで感じること

ピアニズムを根こそぎ変えてから、もう随分長い期間が経った。
ピアノを弾いている時に見える世界はガラリと変わり、今は偉大なピアニストの演奏を聴くたびに多くのことが発見できるようになり
自分としては多くの先生に師事している気分だ。

偉大な演奏家であれタッチの基本原理が同じであることに気がつく。

では何が違って演奏がこうも異なるのか。
最近はそのことも見えてきた。

ソフロニツキーのタッチ、ネイガウスのタッチ、ソコロフのタッチ、偉大なピアニストの一端に触れるべく彼らのタッチを追求していくと音楽を聴いている耳の位置が異なることに気がつく。

耳が音を拾う位置が違うのだ。
耳が物凄く解放されているのはニコラーエワだと感じる。彼女のタッチを求めると自然と耳は天井の高い位置にくるのだ。そして地球を外側から見るように音楽を作っていく感覚になる。そこには主観性はあまりない。

主観性を持たせようとすると耳の位置は自然と落ちてくる。

この耳の位置の違いが演奏に大きく影響するのだ。

音というのはピアニスの声である。声の質で演奏できる音楽はまるっきし変わってしまう。

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