ピアニズムの分かれ道

ショパンがパリに出た時、そこで賞賛されていたのは「均質な音」だった。

その第一人者であったのがカルクブレンナーである。
彼の落ち着いた物腰に魅了されたショパンは、親友にこのように書いている。

「パガニーニが完成の極みとすると、カルクブレンナーも彼に匹敵する。あの人の落ち着き、他と比べようもない均質な音を言葉で表すのは不可能だ。あのひとは巨人である。」

ショパンは古典主義への憧憬があったため、クレンメンティの弟子であったカルクブレンナーに夢中になったようだ。しかし、数週間の熱狂の後、カルクブレンナーの演奏に自然さやインスピレーションの欠如を感じ遠ざかった。

演奏法というのは、音楽の考え方に大きく左右される。

整理されコントロールされた音楽、均質な音を求める人は、指の動きに注意を払い出す。
それに対して、音楽の自然さ、ニュアンスを求める人は、指の動きは少なくなり体全体に注意を払い出す。

カルクブレンナーは前者であり、それは前回述べた手導器の考え方を見ればわかる。
ショパンは後者であり、まだ独自のメソッドを完成させていなかったが、根底を流れる音楽観が合わなかったのだろう。

現在でもほとんどの演奏が前者であり、こういった演奏がコンクールでは良いとされている。

カルクブレンナーは、3年間自分のところで勉強しないかとショパンを誘ったようだが、彼は断った。
ピアノに今までにない無限の可能性を求めたショパンはこのように書いている。

「彼の元で3年間勉強して私の計画が前進すれば承知していたかもしれない。ただカルクブレンナーの複製だけにはなるまいと思っており、新しい世界を創造するのだという、大胆すぎる理想を捨てるには忍びなかったのです。」

その後、ショパンは革新的なメソッドを生み出し、現在も一流のピアニストによって継承されている。
日本は200年前のパリと同じような状況ではあるが、少しでもショパンのピアニズムが広まればいいと願う。

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