音と向かい合う姿勢

誰しも美しい音を出そうと努力するが、美しい音を出そうとする瞬間には力みが生まれ音が硬くなっている。
小さな力みは自分の耳を閉じ、自分だけが美しい音を出している気になっていることが多々ある。

美しい音は、「出そう」と思ってはダメだ。
出そうと意識している段階では、必ず音に力みが出てくる。

曲が始まった瞬間に、美しい音という言葉は存在しなくなる。
曲の世界観に入っていれば美しい音ではなく必然性がある音になるはずである。
「美しい音」ではなく「美しい曲」という印象を与えなくてはいけない。それがクラシックピアニストのすべき唯一の仕事だと感じる。

次の瞬間に欲しい音を、曲が自分に求めてこないといけない。自分から求めている段階では駄目なのだ。
美しい音には必然性がある。

極論であるが、その必然性が感じられない曲は演奏するべきではないと思う。その曲は自分に合ってないと判断するべきだ。
全ての曲を演奏できる必要はない。もしも演奏できるのであれば、どの曲にも振り向いてもらえていないことに気が付いていないのだと思う。
八方美人ではいけないのだ。

リストはショパンのマズルカに対して次のように書いており、ショパンはその意見に賛同した。

マズルカは一曲ごとに一級のピアニストが一人づつ取り組むべきだ フランツ・リスト

真に美しい音というのは、自分に語りかけてくる曲からしか得られないのではないだろうか。

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