省略の芸術

先日、高畑勲が監督した映画「かぐや姫」を観た。
言葉では言い表せないくらいの感動を覚え、その世界観に芸術的な美しさを感じた。
この映画では背景が限りなく省略されており、登場人物が浮き立つような効果を最初から最後まで施してあった。
細部まで書き込まれた映像では辿り着けない美しさがあり、その世界観にホロヴィッツやソフロニツキーの芸術を思い出した。

全てが精巧に描かれてしまうと、人は想像力を失い感動ではなく驚くことしかできないのではないだろうか。
私が感動を覚える演奏も、全てがくっりきと見える写実的なものではなく、大切なものだけが浮き立ってくる演奏である。
自分が演奏する時にも、特にショパンやスクリャービン、ドビュッシーでは、背景をぼかすテクニックを多く使う。
これらの作曲家は、大切なものを浮き立たせるために背景をどう描くかを常に意識して演奏しなければ曲にならないのだ。

魔法をかけるためには、全てを人に見せてはいけない。
芸術は省略なのだと教えてもらった。

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