ピアノは代弁者

多くのピアニストが陥る罠がある。
曲に自分の意思を反映させようと、ピアノを使って歌おうとすることだ。
この感覚を持ってピアノに向かうと、その先には利己的で安っぽい音楽しか待っていない。
ほんの少しの感覚の間違いなのだが、その間違いに気がつかないで演奏している方が多くいると思う。

ピアノを使って歌ってはいけない。ピアノを歌わせるのだ。

ピアノという楽器は、自分の意思を反映してくれるという考えを持っている方は多くいると思う。
確かに誰が弾いても音は鳴るし、同時に多くの音を押さえることもできて一人で世界を完成させることができる。

しかし他の楽器と違い、息を通したり、直接弦をこすったりして音を作るような楽器ではない。
その点で感情を反映しにくい楽器なのだ。1音だけでクレッシェンドができないということは大きな特徴である。
1音でクレッシェンドできない楽器に想いを込めることによって、自分の頭の中だけでクレッシェンドしてしまうのだ。

感情的になってはピアノ演奏ができないと感じるのは、この打楽器の特性があるからだ。
自分の息遣いや想いで音楽を作ると言った考え方は、ピアノ演奏において実に危険である。

この種の演奏が現代では多く存在していると思う。音楽に複雑さがないのだ。
複雑さがないということは芸術性がないということである。
偉大な作曲家は言葉で表現できない複雑な感情を音にしているのだが、演奏者がピアノで歌うことによりその音楽はとても安くなってしまう。私達は演者ではなく、ピアノに代弁させる者なのだ。

ここに線がある、一歩踏み込むだけで、芸術は大衆音楽に変わってしまう。

偉大な演奏家たちを見ればわかるが、想いを顔や動作に出す方は一人もいない。
彼らは、ピアノという楽器に耳を傾けピアノを歌わせている。
決して自分が歌ってはいけない。

ピアノを歌わせて、そこから出てくる音楽を聴衆と演奏者が聴いて、そこで感動するくらいが丁度良いのだ。

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