子音と母音のクラシック

日本人っぽい演奏というのがある。
まるで日本語の朗読を聴いているような種類の演奏。
私も以前は、そのように弾いていた。そして録音で聴き返しては、何故そのように聴こえるのかをずっと悩んでいた。

ヨーロッパに留学して一番意識したことは言葉である。
留学中は私達が日本で習った英語の発音で話しても通じないことが多々あった。

ロシアピアニズム
シューマン像

シューマン国際ピアノコンクールでツヴィッカウを訪れた際に、昼食をマクドナルドで済ませようと思い現地の人に質問したが、誰に聞いても、そんな場所は知らないと首を傾げられた。英語っぽく発音してもドイツ語っぽく発音しても全く通じないのだ。

仕方なく文字に起こして伝えたが、その時に相手からは響きある子音と伸びやかな母音による今まで聞いたことがない「McDonald’s」が返ってきた。

クラシックは西洋で生まれた音楽である。
子音が響きを持って発音され、母音が心地よく広がっていく。

 

 

ロシアピアニズム
シューマンの家

そのような意識を常に持って作品と対峙しなければならない。

日本人が思う滑らかさとは、子音が薄い母音の響きであるが、西洋的な感覚で言うと子音が聞こえてこない音や演奏というのは、ただボヤけた日本的な演奏ということになるのだ。
この日本の美意識がピアノ技術と合わさり、「鍵盤から指を離さないで弾く」「音を下から上に響かせる」といったピアノ奏法に繋がっていく。

私が、教室で徹底しているのは西洋の言語感覚で演奏することであり、私達の言語感覚でクラシック音楽を解決させないということである。

美しい音は言葉の理解から始まる。
特に私達日本人は、子音をハッキリと意識して母音の柔らかさに繋げていく意識を常に持たないといけないと感じる。

それが理解できた上で日本の繊細な色彩感覚をクラシックに吹き込むことで、私達にしかできない音楽が作れるのだ。

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