先日、お世話になっている調律師の方が面白いことを言っていた。
「最近は倍音で調律しているんですよ。そうすると皆も弾きやすいと言ってくれる」
ピアニストも同じで、指先で掴む音=基音を聴いて演奏してしまうと途端に色がなくなる。
ある年齢層の日本人教師・ピアニストは、基音で演奏し、基音で演奏される音楽を好む傾向にあると感じる。
私も日本では基音での音楽を習ってきたし、響きを混ぜようとするとよく注意されていた。
しかし聴衆は違う。響に色を感じて心が動くことに幸せを感じる。
そういった感動ができなくなってしまっては、演奏する意味や音楽を聴く意味は果たしてあるのだろうか。
日本の音楽教育に一石を投じるとしたなら、この基音文化を否定することから入らないといけないかもしれない。