留学中は作品を完成させていくよりピアニズムの研究に没頭していた。
ソコロフ、プレトニョフ、ババヤンの響きは今でも脳裏に焼き付いている。
研究していく中でショパンピアニズムを教えている教師を何人か尋ねた。しかし誰も明確な答えを持っていなかった。
「こういう響きで」「こういう雰囲気で」と言った抽象的なことでしか教えていなかった。
ピアニズムを学ぶときは客観性や論理性を持つべきだと私は考えている。
私はピアニズムを研究している教師は楽器と体の扱い方を教えているとばかり思っていたが、全くそうでなかった。
テクニックは言語化できないといけないというのが、私がピアニズムを教えている上で大事にしていることだ。
そして海外で多くのロシア人のレッスンや演奏を耳にし、ショパンの書いた本やネイガウスの書いた本からヒントを得てようやくショパンピアニズムの根底に流れる共通したテクニックがわかった。ショパンやネイガウスはテクニックを客観性を持って捉えていた。彼らの本を読んでみることをお勧めしたい。
その共通したテクニックというのは、
いかにピアノを打楽器として扱い、その上でピアノを歌わせるかということだ。
ここだけが多く流派が存在するショパンピニズムで唯一共通している点だ。
私はその中でも、ホロヴィッツやソフロニツキーの音と音楽が大好きでありそのピアニズムを教えている。つまり彼らが曲作りの基本としているタッチが私は大好きであり、私もそのタッチを教えているということだ。
体のどこをどう使えば楽器を一番効率よく鳴らせ、尚且つ弾く意識をしないで音を聴けるかということ。
私が教えるショパンピアニズムのレッスンでは、このことは理解してもらえるまで客観性と論理性を持って説明している。