行き止まり

私は5歳からピアノを弾いている。
すでに24年間ピアノを弾いていることになる。

20年目で行き止まりを感じた。
自分が求める音楽とピアノから出てくる音楽が一致しないのだ。どれだけ練習しても一致することがなかった。
何度もホロヴィッツやソフロニツキーを聴いては、何が違うのか自問自答していた。

大学ではエミールギレリス音楽祭というものが2年に1回開催され著名なピアニストが大学内のホールで演奏する機会があった。
そこで聴いたソコロフの音に全てを奪われた。音に色彩も香りもあるのだ。日本でこのような音を聴いたことは一度もなかった。
演奏中、ずっと憧れていたホロヴィッツやソフロニツキーの音が思い起こされた。
生で音を聴くということの大切さをその時初めて理解した。
本当に素晴らしいもの、本物を聴くということは20年間をも凌ぐのだ。

そのあとの4年間は、ひたすらピアニズムの研究に没頭した。
友人を捕まえては、音の違いを聴いてもらった。体の使い方を少しずつ変えて、その度に音の違いを確認してもらった。
今思えば大半は間違った方向に進んでいたが、そのお陰で間違った方向に行こうとしている生徒にアドバイスをすぐに送ることができている。
何が間違っているのかを言葉を持って説明できるようになったことは、多くの時間を間違った方向に使ったからだと感じる。

今は行き止まりは感じない。先が見えない道が目の前に開いた感覚だ。そのようなテクニックにたどり着けた。
音楽的な行き止まり、身体的な行き止まり。
様々に行き止まりがあるが、それはピアニズムに問題がある。

1−2年を徹底してショパンピアニズムに捧げればその後のピアノ人生を大きく変えることができる。全てを捨て、全てを変える勇気だけだ。

耳にかかった鍵

ピアノを習っていく段階で、多くの人は耳にいくつも鍵をかけていく。
まずは指を上げ下げして独立させることで、鍵をかける。
そして腕を使い、体を使い、どんどん鍵をかけていく。

基本的に私の教室を訪れてきてくださる方は、最初の段階ではいくつもの鍵が耳にかかっている。
レッスンではそれを一つ一つ開錠していく。
その耳にかかった鍵がどこからきているものなのかを、教師は瞬時に見つけなくてはいけない。
自分で身をもって研究し、体と楽器の扱い方を理解してくると、音を聴いただけで大体は原因がどこかわかってくる。

一つ開けるごとに世界は広がり、音に色が増えていく。
世界が広がり目が輝きだす姿を見ることは、私にとってもこの上ない喜びである。

音楽はずっとそこに存在していたのに、自分から耳を閉じていたことに気が付いてくる。
自分の理想に近づけるために耳を閉じて、空想の中で演じているのだ。

ピアニズから人生の考え方まで色々学べている。
人を気にせず、ありのままの自分を受け入れるという姿勢はとても大切だと感じる。

指先の意識

ピアニズムにも色々な流派があり、様々な演奏時の意識がある。
違いがあれど共通して、腕の重さを利用しているという点は変わらない。
以前書いた、こちらもご一緒にお読みください。
ショパンピアニズムの共通点

私が好きな音はソフロニツキーやホロヴィッツ、ソコロフである。
彼らに共通している点は、「腕の重さを利用している事」と「指先を意識していない事」だ。

ショパンピアニズムでもこの指先の意識の違いは大きく演奏に影響をする。
指先に意識がある時点で、ショパンの流派からはずれており、リスト系の流派に属すると考えている。

私は指先に意識がある音と音楽があまり好きではない。
この弾き方をする人は、総じて主観的であり演奏している時に自分の感情が優先してしまい音を聴けなくなる。
作品の美しさより、演奏者の呼吸が聴こえてきて美しくないのだ。
一流の人ほど、冷静に音を聴いており、それは指先に意識がある時点で不可能なのである。

主観性の問題とともにもう一つ大きな問題がある。

それは、指先に意識があると肘と肩が緊張してしまうことだ。
指先の意識の人は腕の重さを利用はしているが、肘から指先までの重さしか利用できていない。
演奏していても肩と肘が力みやすく、肩が上がったり肘が外に逃げたりするはずである。
指先の意識の人は腕の重さが乗りにくい分を前傾姿勢になったり椅子を高くしたり腕を大きく使ったりして補っているが、それをしている時点で自然な音楽から離れて行ってしまうのだ。

この力みを取ることは指先に意識がある限り不可能であり、その力みを抜くために様々に意識をして力みの回避をしているはずである。
残念ながら、その回避をしている時点で、力んでいるのだ、

私は、「指先を作る」という考え方のピアニズムを疑問視している。
これは日本で流行っている弾き方に毛が生えた程度で現状とさほど変わりない。
ここから抜け出せないでいると、19世紀から20世紀に頂点を築いたあの響きを手に入れることは不可能である。

ピアノ演奏時に指先の意識はない。これがあると腕の重さを乗せた指が、空中から鍵盤に降ってきた時に指と鍵盤が衝突してしまう。
指先から解放されること。これを理解して初めてショパンやドビュッシー、スクリャービンは光り輝く。

ピアノとの距離感

弾いた後に腕を上にあげて音を膨らませている演奏を日本ではよく耳にする。

皆さんも試してみてもらいたいのだが、一音を鳴らした後に音を膨らませようと腕を回したりあげたりしてほしい。
音が変わって聴こえるはずである。

では実際どうなっているかというと、何も変わっていない。
弾いた後では音は何も変わらないのだ。

ここにピアニストが気をつけるべき点がある。
ピアニストは、これらの体の動きによって実際聴こえている音と自分の中で聴こえている音に誤差が生じているのだ。

ショパンは、ピアノが減衰楽器であることを明確に把握しており、長い音符やシンコペーションの音はあらかじめ大きい音を鳴らさなければならないと弟子達に言っていた。
弾いてからでは、遅いのである。

ピアニストは、常に客観的でなければならない。しかし出てきた響きに心を踊らせなければならない。
このピアノとの距離感というのがとても大切なのだ。

ショパンピアニズムでは、子供の時からこの距離感を徹底して教える。

冷たい頭と熱い心を持て  アルフレッド・マーシャル

 

レガートの感覚

レガートのイメージをすると横の流れを思い浮かべると思う。
以前、私もそうであった。

今は1音1音を縦や奥の意識で配置していき、全ての音に細かなニュアンスを与えていく感覚になっている。

例えていうならば、星座だ。
1つ1つは独立して輝いている星だがそれを線で繋いで大きな絵にする感覚。
レガートを横の意識で作っている人は、音楽のスケールが小さくホールで響かない。
横の感覚でレガートを紡いでいる時点で音の輝きは薄くなってしまうのだ。

縦に音を鳴らして、和声、フレージング、リズムの要素で横の音楽を創造していく。
偉大な演奏家のスケールの大きさは、この感覚からきている。
これが身につけば、音を見ることができる。

レガートについては、こちらも合わせてご覧ください。
レガートの本質