腱鞘炎の原因

こういう音を出したいと強くイメージがあり尚且つ練習時間が多い人に、腱鞘炎は多く発症します。

これは、奏法に誤りがある場合での話です。

普段の生活をしていて腱鞘炎になる人はいないと思います。
それは手にとって無理がある動きを行わないからです。

手にとって自然な動きとは、

・つかむ
・つまむ
・ひねる

これ以外の動きが不自然な動きになるわけです。

不自然な動き、それは

・反る
・力む

上記のものが腱鞘炎の原因の大部分です。

指を上に持ち上げる動き、実はこれも「反る」の一つです。そしてもちろん「力む」がないと叶わない動きです。

私は以前、腱鞘炎に悩まされていました。ですのでどれだけ辛いのかよくわかります。
そして原因もよく分かります。

私の場合、pやppの表現を練習している時によく発症しました。これは指を上げ下げしていると同時に緊張を高めて弱い音を弾いていたためです。

指を上に上げないと鍵盤が下に下がったままじゃないか!

と思われる方がいるかもしれませんが、それは鍵盤を前後に使っていない証拠です。
鍵盤は左右はもちろん前後にも使わなくてはいけません。そうすると指は上げなくても勝手に鍵盤から離れるのです。

腱鞘炎になりやすい人の特徴で、腕全体を使って「音をピアノから上方向に響かせよう」とする人が上げられます。
この腕全部を外側に大きく使った弾き方はピアノの構造を知らない人の演奏の特徴であり、自分の音と体の悲鳴が聞こえていない人の特徴でもあります。

自分もそのように演奏していましたが、他のピアニストの方でもこの根本的な間違いのせいで腕を痛めている姿を多くみました。
ピアノの鍵盤は下にしか下がらず、音はその間でなります。そこに意識を張り巡らせないといけないわけです。
鍵盤を下げた後に腕や体の動きを使って、音をつないでいく演奏法は情熱的に弾いているように見えますが、聴衆にはその熱い姿しか映りません。

「ピアノの構造」と「手・腕にとって自然な動き」を突き詰めていったところにショパンピアニズムはあります。

ショパンが当時流行っていた独立器具を「散歩するのに逆立ちの練習をしているようなものだ」と皮肉った事は、現代でも同じではないでしょうか。

この独立器具、かのフランツ・リストも熱中し、のちにこういった練習が誤りだったと書いております。
ショパンはピアノと腕の構造、重力、重量の使い方を本当に熟知していました。

「ピアノの構造」と「手・腕にとって自然な動き」この二つを理解できた時、私は腕の悩みから解放され一切痛めることはなくなりました。
ですので腱鞘炎になるようでしたら、奏法を根本的に見直してください。

私は腱鞘炎に悩まされていなかったら、この音・響きを体現できていなかったかもしれません。

埼玉県戸田市 黒木ピアノ教室について

ロシアンピアニズム,ロシアンメソッド

私が現在開講しているピアノ教室は、 ショパンピアニズムを用いたレッスンを行っております。
日本ではあまり馴染みのない奏法ではありますが、世界の聴衆を魅了してやまないピアニストの多くはこの奏法を軸に演奏しています。

私が大好きなソフロニツキー、ホロヴィッツ、ゲンリヒ・ネイガウス、スタニスラフ・ネイガウスは日々私に大きな課題を与えてくれています。

私自身、小さな頃から彼らの演奏に魅了されこんな音が出したい、こんな風に演奏したいと思っておりました。
こんな演奏がしたいと言ったところで、あの人とあなたは違うんだからと、根も葉もない言葉を言われたことは数がしれません。

しかしドイツでソコロフの演奏に触れたことで大きく変わりました。

録音や映像でしか聴いたことがなかった音楽が実在したのです。
それも第一音目から・・・

ピアノが歌い、何の抵抗もなく心に染み込んでくる音楽。

音楽をするための「響き」が音に無かったら、どう足掻こうが目指す音楽は実現しない。

彼のコンサート以降、考え方が間違っていることに気がつきました。

それとは一方にこのように音楽家を例えることがあります。

音楽家は皆違うルートから山の頂を目指して登っている

以前は特に違和感など感じておりませんでしたが、今ではこの言葉は方法論的には間違っていると確信しています。

自分の信じる道を盲目的に進むのは構いませんが、例えばホロヴィッツの音楽を愛していたとして、その音楽を強く想像すれば近づくことができるなど到底ありえないのです。根本的な楽器の扱い方、体の扱い方が間違っていれば何年たっても同じ次元で音楽を捉えることは不可能です。

黒木ピアノ教室では、まずはピアノが最大限響き渡る音を体現してもらうことから始めます。
ピアノの構造、動きと脳の関係、リラックスするための方法論等を本人が体現し理解するまで説明いたします。

この奏法で演奏できるようになりますと、各々が持っている性格が音楽に反映されるようになってきます。
十人十色と言いますが、音楽もまさにそのような自由さを持ってきます。

自由に弾いて!という言葉がありますが、基礎が固まっていない状態では自由さは生まれません。
硬くなってしまう音楽を自由にしてほしくてこのような言葉がレッスンで飛び交うのでしょうが、それは根本的に音そのものが硬いのが原因なのです。

動きと音楽は、切っても切り離せません。
日本では音楽的な基礎は学べますが、この「動きの基礎」「音の響きの基礎」を学べる教室はどれだけ日本にあるのでしょうか。
基礎的な音の響きが一回でも理解できれば、テクニックは飛躍的に向上し、音楽に練習時間を割くことができます。
練習時間はとても楽しく喜び溢れるものになります。

私は20代でようやく理解した内容ですが、感性豊かな小学生の頃から身につけられますとピアノが一層楽しいものになると思います。

響きの様式感

どの曲でも同じ弾き方をする演奏をよく耳にする。
同じ弾き方というのは、同じ手の使い方=同じ音質で演奏するということだ。

「指は筆」ということを生徒に伝えることが多い。
絵を描くときには「線の太さ」「色の濃淡」に合わせて筆を繊細に変える。
このことはピアノを弾く時も同様であり、指の形は自由自在に変えないといけない。
爪の先で弾く時もあれば、指の腹や、指の第一関節で弾くことさえある。

古典までの作品バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンでは、第一関節を使うことは滅多にない。
それは基本となる音質がロマン派と違うからだ。
古典まででは、あまりビブラートをかけず丸みを帯びた縦に高い音質を基本とする。
ロマン派に入ると、十分にビブラートをかけた横幅が広い音質を基本とする。

これは絵画とも密接に関係しており、時代ごとに絵画を見ると線や色の描き方が大きく違っているのが分かる。
ぼかした線ではバッハの時代の宗教画は描けず、はっきりした線ではドヴュッシーの時代の印象派は描けない。

このように音質と様式は密接な関係にあり、どちらか一方が欠けていても芸術は生まれないのだ。

日本人は音質による様式感の違いに鈍感だと感じる。

聴いた後に「凄い!」という感想を持つ演奏は、総じてこの響きによる様式感がない。
どれだけ鮮明に曲を弾ききるかというコンクールの悪しき慣習が、現代に芸術を生み出しづらくしているように思う。

レガートの本質

ショパンの書いたメソッド本を読んでいると、現代では良くないとされることが多く書かれている。
特にレガートの意識は現代とは大きく違う。

レガート=「指で繋いで」「腕の動きで繋いで」と思われている方が多くいる。

ショパンはどう考えていたか。

彼のレガート奏法の基礎は、なんとスタッカートから始まる。

ショパンが考案した基本ポジション「ミ・♯ファ・♯ソ・♯ラ・シ」を一音一音スタッカートで弾いていくのだ。
そして段々と音価を長くしていく。

レガートを指でつなぐという発想からは生まれもしない練習だ。
彼のレガートの本質は柔軟な手首とペダル、そして耳の使い方にあるのだ。
彼の曲をペダルなしで考えることは不可能である。

そしてペダルに含まれた柔らかい倍音の中、耳でレガートにしていくのだ。
彼のレガートは鍵盤の上には存在せず、空中に存在しているということである。

日本でここまで指レガートが流行る原因を考えてみた。
一つは日本で主流となっている弾き方がドイツ式フランス式であること。
もう一つは音が響かない部屋で練習していること。
特に二つ目の影響はとても大きく感じる。

ヨーロッパの部屋は日本と比べ物にならないほど響き、空気も乾燥しており音がよく振動する。
日本の部屋は住宅事情もあるが、吸音する材質の部屋にピアノが置いてあり倍音が全く響かないのだ。
こういう部屋で練習していると、すぐに減衰する音を補うために「指レガートが大切だ!」と考えても仕方がないかもしれない。

私たちはクラシック音楽を身近に感じているが、実際には日本の国民性や伝統からは生まれなかった文化である。それを考えると自分が正しいと思っている知識で片付けるのではなく、先人達が行なっていたピアニズムを調べてみることは大事だと感じる。
ロシアの大教師、ゲンリヒ・ネイガウスもショパンのメソッド本を読み、感動を覚え研究したと書いていた。

レガートを指の問題で片付けている限りは、ピアノは歌わない。
鍵盤を意識せずに済む体の使い方をし、空中で響く音を混ぜながら繋いでいく。

身をもって認識したことだ。

親指の使い方と円運動

親指は他の指と違う。
この指は見るからに特殊な指であり、使い方にも気を配らねばいけません。

親指というのは本当に厄介な指で、少しでも使い方が間違っていると他の指全てに影響が出て来るのです。

人間の体は自然にバランスを取ろうとする働きがあります。
それは体のいたる所に存在する働きです。

親指が力んでいれば、他の指も同じだけ力み、
親指の指先でピアノを弾く意識があれば、他の指も指先で弾いてしまいます。

注意することは、親指をどこから使うかということです。

「親指の付け根」も他の指と同様に手首にあります。
この「付け根」を意識すると使い勝手は劇的に変わります。

そして「音」も「音楽」も変わります。

それには脳が大きく関係しています。

指先に意識がある時と、付け根(手首)から動かす意識の時では、脳の感覚が違うはずです。
指先に意識があると脳は緊張を覚えますが、付け根から動かすと脳は緊張しません。

細かい運動というのは脳が多く働きます。その時、動きに集中している脳は、耳の働きをおろそかにします。
耳の働きが低下すると、「広がっていく響き」が聴き取れず「ピアノの近くで鳴っている音」で音楽を作ってしまいます。
そういう音で作る音楽は、色彩を感じない強弱だけの世界になってしまうのです。

付け根から動かすイメージを持つことは、どのような運動をするにしても体が滑らかに動くための必須条件です。

歩くときに足の指を意識して歩く人はまずいないと思います。付け根から動かしているはずです。
そうすることにより、人間が本来持っている円運動がスムーズに行えるようになるのです。

円運動というのは、「重力」が「重さ」のある物体に与えた自然な動きなのです。

ショパンピアニズムが「重力奏法」や「重量奏法」とも言われる理由はここにあります。

ピアノは私たち日本人が思っているほど、指先の独立や器用さというものは必要ないように思います。