ショパンピアニズムの基礎 ② 「腕の重さ」

前回ショパンピアニズムの基礎①の続き

ハンマーを効率的に動かすためには腕の重さを利用しないといけない。その腕の重さがどれだけあるかを知る方法がある。
それは下の画像で示したように指を使わずに手首の下で打鍵してみるのだ。

詳しい動きはコチラからYouTube上でご覧になれます。

その際、肘や肩を最も自然な位置に配置した上で腕全体を動かすように打鍵することを注意してほしい。
どうだろうか、軽く押しただけでも十分な音量が得られたのではないだろうか?

今やっていただいたのが重さを使った打鍵である。腕の重さを使えたなら実践してもらったようにユックリ打鍵してもピアノがなりきるのだ。

この重さを鍵盤に届けるというのがショパンピアニズム・重力奏法の根源である。

ではこの腕の重さは、鍵盤に届くまでにどこで無くなってしまっているのか。
それが「手首」である。詳しくは上記のYouTube動画で説明している。

前回も述べたように、一般的な奏法の「脱力」を意識していては手首で重さが分断されてしまい、腕の重さを鍵盤まで届けることができないのだ。

手首で分断されずに重さを届けるには、まずは手のひらの使い方を知らなくてはいけない。

また次回

ショパンピアニズムの基礎 ① 「楽器と原理」

ピアノという楽器は、テコの原理と同じ構造を持っている。
鍵盤を下げると反対側にあるハンマーが上に動きピアノ線を打つのだ。
以前に比べると構造は複雑になり、ハンマーに力が伝わるまでにいくつかの段階を挟むが、基本は変わらずテコの原理である。

ロシアンピアニズム

ピアノの音量を決めているのは「ハンマーがピアノ線を打つ速度」であり、この速度が最も大切になってくる。
ハンマーの上がる速度を調整することに、テクニックの基礎があると言っても過言ではない。

もちろん調律師・ピアニストであればこのことは知っているのだが、この速度と打鍵の図式を以下のように理解している方がとても多いと感じる。

「ハンマーの速度を調整すること」=「打鍵の速度を調整すること」

ここに日本で主流のピアニズムとショパンピアニズムの違いがある。

ショパンピアニズムでは、ここに「重さ」の概念が入るのだ。

大事なことはハンマーの速度調整であり、いかに小さい運動でハンマーを速く動かせるかを考えると理想的なピアニズムが見えてくる。

物理で、「軽いもの」と「重いもの」では同じ速度であってもエネルギー量が違うと習ったはずである。
例)大型トラックと軽自動車が同じ速度で物体に衝突した時、どちらがより遠くに物体を飛ばせるかを考えてみると分かると思う。

上の例をピアノに置き換えるとこうなる。

打鍵する際の質量が大きいほど、ハンマーをより速く動かすことができる。

図式に示すとこうだ。

「ハンマーの速度を調整すること」=「質量の調整×打鍵の速度」

演奏時に使える重さは腕である。この腕の重さをいかに鍵盤に届けるかが重要になってくる。

また次回

ショパンピアニズムの美しさ

ショパンピアニズムが定着してくると作り出した響きが自分に多くのことを語りかけてくる。
曲の声をより聴こうとすると、その曲が最も美しく響くことを求めだす。
最も美しく響きだす瞬間。そこには自然さがある。

山や川を見て美しさを感じるのは全ての人に共通していると思う。
自然さとはそんな感覚である。
近・現代を除いては演奏から鉄の香りがしてはいけないのだ。

自然界の美しさをだすためには、自然の原理を学んでいかなければならない。
拍感や打鍵も同じである。重力を利用するのだ。

ショパンピアニズムが目指すところは、自然の美しさなのだ。

音の出口

美しい音を出すときに最も大切なのは音の出口を考えることだ。
音の出口を考えると音の入り口も変わってくる。

例えて言うなら洞窟である。
今から入ろうとする洞窟があり、一つは出口がわからない洞窟。
一つは出口を把握している洞窟。

この二つで大きく変わることは、入る時の緊張感である。
出口を知らない場合は、入るときに足がすくむが、出口を把握している場合は、緊張感なく入ることができる。
出口を知っていると言うことは、入り方が変わってくるのだ。

音でも同じことが言える。
出口がない音というのは、音に緊張感があり色彩がない演奏になる。

では音の出口というのは何なのか。

それは弾いた後の手首の動きが大きく関わってくる。

腕の重さを利用して演奏しても、弾いた後の手首の動きが伴っていないと音に色彩感覚は出て来ない。
ショパンピアニズムでは、弾く前と弾いた後の意識を常に持つのだ。
その意識は手首が支配しており、全ての動きは手首で始まり手首で終わらないといけない。
ショパンピアニズムにおいての手首は、エンジンである。

空中から鍵盤の上に腕の重さを手首の動きを伴って乗せて後、手首は手前に引っ張るのではなく斜め上(鍵盤の蓋側)にあがるのだ。
ここが音の出口である。

手首を手前に引っ張る演奏もあるが、それは意識が指先にある人の場合だ。
手前に引いてしまうと響きを作る位置が低くなってしまう。
もう一段階美しい響きを出すためには指先に意識はない。
それが達成できて初めて斜め上の意識が理解でき、空中に美しい音が響き出す。

ショパンピアニズムを教えだして

教室を開いてから1年ほど教えた生徒も出てきた。
1年間教えていると楽器の扱い方はかなり上手くなり、響きから芸術的なインスピレーションを受け取れだしてくる。
能力の差はあれど、その響きからは西洋音楽の伝統を感じとれだした。

私が生徒と同じ年の頃には到底弾けなかった曲をスラスラと美しく演奏している姿を見ては、ショパンから続いて来たピアニズムの素晴らしさを感じている。
演奏技術というのは才能ではなく、正しい方法さえ知っていれば誰でも習得できるものだと改めて思う。

最近感じるのは、このピアニズムは他者を気にせず自分と向き合わなくては達成できないということである。
物質が溢れて全ての人が同じものを持つ時代では自分の内面に目を向けることは難しいが、個人個人の心の豊かさが最も重要である。
人と比較しなくても心は豊かになる。人と共有しなくても心は豊かになる。
芸術に触れるということは、現代では置いてけぼりにされている自分の内面に目を向けるということに繋がるのだ。
しかし、習い事をしている段階ではこの本質までは辿り着けないだろう。
芸術は指の運動では生まれないのだ。

このピアニズムで奏でられる音楽は、何の抵抗もなく心の奥底に入り込んでくる。
ずっと前の思い出の様に、ずっと前から知っていた感情の様に、自然と心の底から湧き上がる。

生徒の演奏からそういう瞬間を感じ始めた。