指の強靭さ

「なんと柔らかな響きだったか」
「あれほど美しいpを聴いたのは初めてだった」

一流のピアニストを聴いた人は、強靭なフォルテよりも、しなやかさ・柔らかさの感想を語る。

一般的な演奏をしている方は、柔らかさを表現する時に手もブラブラの状態にしていることが多いかと思う。
以前の私も、柔らかい音や弱い音は力を抜いた手で演奏していた。

ショパンのピアニズムを習得すると、いかに強靭な指が必要かわかる。

指を鍛えることなしに、柔らかい音を手に入れることはできない。

手が弱い人が、「私は柔らかい音質を持っている」など思っていたりするが、芯がなく響きのない音なだけである。

教室にいらした方には、最初のレッスンでまずは手の筋力トレーニングの仕方を伝えている。
トレーニングといっても指ではなく、手のひらと前腕のトレーニングである。

一例を見せるとこんなものである。

このトレーニングも、どこをどう意識するかがとても大切であり、この他にもゴムボールを使ったりしながら手を鍛えていく。

強靭な指は、「手のひら」と「前腕」の筋肉から作られる。

ここがピアニズムの企業秘密といってもいいだろうか。

人それぞれの音色

もう100人以上の生徒を指導してきたかと思う。

私のところにレッスンに来る方はそれぞれが違う悩みを持っている。
それらを一つ一つ解決していくのは生徒も私も根気のいる作業ではあるが、達成できた時の喜びはひとしおだ。

体の使い方も楽器の扱い方も私のやり方を指導していくので、最終的には同じ音色になっていくのかと疑問に思う人もいるが、答えは全く違う。

答えは全く”違った”、といった方が正しいかもしれない。

ほんのひと握りだが、
己の壁を破り、独自の音色をピアノから醸し出す生徒がいるのだ。

”同じ道を歩んでも、全く違う世界に辿り着いてしまう”

ロシアの黄金時代のピアニストは同じ教育の元であっても、それぞれがオリジナリティ溢れる音で音楽を作る。教師から生徒へ伝統の音を受け渡しても、教師とは全く違う音を醸し出す。

ロシア教育で感じていた疑問がようやく実感を持って理解できた。

以下は若き日のルガンスキーと師であるニコラーエワである。

そうやって自分の音を手にした人は強い。
手に入れた音で演奏するだけで、オリジナリティが生まれ芸術性は格段に高くなる。

私の指導目標の一つが、このオリジナリティを手に入れてもらうことである。
大きな目標ではあるが、生涯を通して自分だけの音を探して欲しいと思う。

発表会を通して

子供から大人まで年齢を問わず、諦めない性格の方が私の教室には多くいらっしゃる。
教える立場になって、「探究心」と「物事を継続できる能力」が上達への大きな手助けとなっていると改めて感じる。

特に継続する力は素晴らしい才能だと思う。

10月27日に渋谷の美竹清花さろんにて第1回目のピアノ発表会を開催させていただいた。
1部では学生が、2部では大人の方が、3部ではピアニストの松岡優明と私が演奏した。
全員参加とはならなかったが、20名以上の方が演奏してくださり素晴らしい瞬間を沢山聴くことができた。
発表会は生徒一人一人が努力して初めて成り立つものであり、このような機会をいただけたことを本当に幸せに感じる。

学業や仕事の合間を縫ってピアノに向かい、それぞれの理想とする美しさを求める生徒の姿に胸を打たれた。
継続は力なり。この力さえあれば、どんなことにでも立ち向かえる。
そういう姿勢を改めて学ばさせてもらった。

お知らせ

28歳まで遊学していたせいか社会性が乏しかったですが、最近少しだけましになってきた気がします。

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私の恩師

10月21日にドイツで4年弱お世話になった恩師が逝去された。
私の人生での分岐点を言うなら彼と出会ったことだと思う。

最初のレッスンは今でも覚えている。
シューマン作曲の謝肉祭を3曲目まで弾いたところで、演奏を止め、助言してくれた。
「とても才能がある。でも色々学ばないといけない。」
生きてきた中で自分のことを才能があると言ってくれたのは彼が初めてだと思う。お世辞だとしてもとても嬉しかった。

彼の考えは単純で、音楽を楽しむためのルールを知り一緒に味わおうと言うものだ。
それからのレッスンは彼がだした課題をこなしていくというもので、彼は知っている限りの知識・技術・感性を惜しげも無く全て教授してくれた。

レッスンの時の彼は、どれほど嬉しそうな顔をしていたことだろう。これほど嬉しそうにレッスンをしてくれる教師に私は初めて出会った。
私が理解できた時は、いつも素晴らしいと言って褒めてくれ、嬉しそうな表情を浮かべていた。

「私は演奏はしない。教師として生徒を教えるには時間がない。」
と仰っていたが、横で弾いてくれる時の天真爛漫な表情を忘れることはできない。
特にモーツァルトとシューベルトを愛していた彼のその演奏は、いつも私の心を震わせた。

退官された後、生徒が居酒屋に呼ばれた。
「これからはSieではなく、Duで呼んでくれ。私のこともアンドレアスと呼んでくれ。乾杯」
(ドイツ語でSieは目上の人に対して使う言葉であり、Duは友達などに使う言葉である)

私はその後もDuと呼ぶことができなかったが、彼は生徒ではなく音楽家仲間として私達と接してくれた。

彼と過ごした時間を思い出すと、全てが優しさに満ち溢れている。

アンドレアス・インマー

私の人生を変えてくれた恩師である。
とても素敵な人だった。