指の強靭さ

「なんと柔らかな響きだったか」
「あれほど美しいpを聴いたのは初めてだった」

一流のピアニストを聴いた人は、強靭なフォルテよりも、しなやかさ・柔らかさの感想を語る。

一般的な演奏をしている方は、柔らかさを表現する時に手もブラブラの状態にしていることが多いかと思う。
以前の私も、柔らかい音や弱い音は力を抜いた手で演奏していた。

ショパンのピアニズムを習得すると、いかに強靭な指が必要かわかる。

指を鍛えることなしに、柔らかい音を手に入れることはできない。

手が弱い人が、「私は柔らかい音質を持っている」など思っていたりするが、芯がなく響きのない音なだけである。

教室にいらした方には、最初のレッスンでまずは手の筋力トレーニングの仕方を伝えている。
トレーニングといっても指ではなく、手のひらと前腕のトレーニングである。

一例を見せるとこんなものである。

このトレーニングも、どこをどう意識するかがとても大切であり、この他にもゴムボールを使ったりしながら手を鍛えていく。

強靭な指は、「手のひら」と「前腕」の筋肉から作られる。

ここがピアニズムの企業秘密といってもいいだろうか。

子音と母音のクラシック

日本人っぽい演奏というのがある。
まるで日本語の朗読を聴いているような種類の演奏。
私も以前は、そのように弾いていた。そして録音で聴き返しては、何故そのように聴こえるのかをずっと悩んでいた。

ヨーロッパに留学して一番意識したことは言葉である。
留学中は私達が日本で習った英語の発音で話しても通じないことが多々あった。

ロシアピアニズム
シューマン像

シューマン国際ピアノコンクールでツヴィッカウを訪れた際に、昼食をマクドナルドで済ませようと思い現地の人に質問したが、誰に聞いても、そんな場所は知らないと首を傾げられた。英語っぽく発音してもドイツ語っぽく発音しても全く通じないのだ。

仕方なく文字に起こして伝えたが、その時に相手からは響きある子音と伸びやかな母音による今まで聞いたことがない「McDonald’s」が返ってきた。

クラシックは西洋で生まれた音楽である。
子音が響きを持って発音され、母音が心地よく広がっていく。

 

 

ロシアピアニズム
シューマンの家

そのような意識を常に持って作品と対峙しなければならない。

日本人が思う滑らかさとは、子音が薄い母音の響きであるが、西洋的な感覚で言うと子音が聞こえてこない音や演奏というのは、ただボヤけた日本的な演奏ということになるのだ。
この日本の美意識がピアノ技術と合わさり、「鍵盤から指を離さないで弾く」「音を下から上に響かせる」といったピアノ奏法に繋がっていく。

私が、教室で徹底しているのは西洋の言語感覚で演奏することであり、私達の言語感覚でクラシック音楽を解決させないということである。

美しい音は言葉の理解から始まる。
特に私達日本人は、子音をハッキリと意識して母音の柔らかさに繋げていく意識を常に持たないといけないと感じる。

それが理解できた上で日本の繊細な色彩感覚をクラシックに吹き込むことで、私達にしかできない音楽が作れるのだ。

弾く感覚・聴く感覚

ロシアピアニズム,ロシアンアピニズム

「弾く感覚」と「聴く感覚」は相入れない仲であり、どちらかが強くなればどちらかは弱くなる。
この感覚というのは、誰でも切り替えることができる。それもとても簡単に。

指というのは、第1関節、第2関節、第3関節があり、一般的な奏法の人は、これら3つの関節を各々のバランスで使っている。
ショパンピアニズムではどうかいうと、99パーセント以上第3関節からしか使わない。

ここに「弾く感覚」と「聴く感覚」の分かれ道がある。
多くの人は気がついていないだろうが、第1、2関節から指を使った時点で耳は閉じてしまい、「弾く感覚」に脳みそが変わってしまうのだ。

ロシアピアニズム,ロシアンアピニズム

ロシアピアニズム,ロシアンアピニズム

人間は根元から運動をしている時、自然な円運動を伴いリラックスして体を動かせる。末端を動かすというのは本来は無理があるのだ。

指の根元は第3関節であり、この関節を支点にして虫様筋を使って打鍵する。

こうすると驚くほどに「弾く感覚」は薄まり、「聴く感覚」に脳みそが変わるのを意識できる。

音を聴くということは体の使い方を見直せば誰でも手に入るテクニックである。

重さの使い分け

ショパンピアニズムにおいて重さを使うということは基本的な概念であるが、大まかに分けると3つの重さを使うことができる。

1つ目が「指の重さ」
2つ目が「手首からの重さ」
3つ目が「腕全体の重さ」

である。よく体の重さを使うといった流派があるが、それは科学的に考えれば無理なことがわかる。
感覚的にはそのような意識になることはあるが、現象としては腕の重さのみを使って演奏している。
本当に体の重さを使って弾きたいのなら、上半身全体を打鍵の際に上下前後に動かし肩を固めて打鍵しないといけない。
椅子から体を浮かして弾いてたとしても体の重さは打鍵に利用できていないことを理解しているとピアノへの理解が一層深まる。
腕の重さだけでピアノは十分に鳴りきる。

1つ目の「指の重さを使う打鍵」では、虫様筋を使う。
気をつけるべきことは、第1、第2関節に頼らないことだ。
第3関節から虫様筋を使って打鍵するのだが、この際、「1指〜5指」どの指を使うにしろ短母指屈筋と母指内転筋だけは常に意識する。
しかし、その他、弾く指以外の筋肉は一切使わないことが大切である。

2つ目の「手首からの重さを使う打鍵」では、虫様筋と共に尺側手根屈筋を使う。
手首からの打鍵では、1つ目の「指の重さのみの打鍵」と異なり、虫様筋の役割が手首の重さを支える方向になる。
その代わりエネルギーの源が尺側手根屈筋を使った手招きする動きになる。

3つ目の「腕全体の重さを使う打鍵」では、上腕二頭筋、三角筋、大胸筋を使って腕を動かすのだが、意識としては手首の下から腕全部を持ち上げるつもりで操作しなくてはいけない。
手首の下からというのはとても大切な意識で、この感覚は数多あるピアニズム流派のほぼ全てで徹底して教えられていることである。
この際、虫様筋と尺側手根屈筋は2つ目の打鍵と似たような使い方をする。

重さを使うということは、打鍵スピードが遅くても大きい音が得られるということであり、この3つの使い分けで様々に音色を変えることが可能となる。

虫様筋とショパンピアニズム ②

虫様筋を使うというのは、ショパンピアニズム以外でも普通に使われている言葉だと思う。
指を動かすことを考えると何も特別なことではないのだが、ピアノを前にしても使えているかというと、そうではない。

人が普通に生活していて物を掴んだりする時には、全ての人が虫様筋を使って生活している。

では試してほしい、物をつかむ時に指先に意識を集中するのだ。

どうだろうか、指先に意識を集中した瞬間に肘と肩が固まり、それまでリラックスしていた体の状態が一気に緊張に変わったのではないだろうか。
何も考えずにつかむ時には、そういった緊張は起こらない。

ショパンピアニズムでは普段と同じ手の使い方をする。
つまり指先に集中をせず、普段通りに物を掴んだり握手したりする感覚で演奏するのだ。
肩が上がったり肘が力んだりする方は、ほぼ間違いなく指先に集中をし、第1、第2関節を使って演奏しているはずである。
そうではなく、指先に意識を持たず第3関節から虫様筋を使って打鍵するのだ。

そうすることで最大の体のリラックスを得ることができ、さらにショパンピアニズム最大の利点がもう1つ得られる。

それが耳のリラックスである。耳こそがリラックスさせる最も大切な部分である。

ショパンピアニズムの中でも数多に流派は存在するが、その先駆者であるショパンの考えこそが私の大切な中心軸である。
私は、ショパンの記述と私が好きな様々なピアニストの演奏やそれに伴う動きから、打鍵を「重さ」「高さ」「速さ」 の組み合わせで構成すると考えた。(その理由はコチラからご覧下さい。)
そして文献を読み漁っているとネイガウスが同じように考えていたことが分かり、自身のピアニズム研究に迷いがなくなり没頭できた。

「ネイガウス著 ピアノ演奏芸術」に

F(打鍵の力) h(高さ) v(速度) m(質量)

という4文字で上記で書いた事を見事に簡潔に書いてあるので、是非読んでみてほしい。ピアノ観が変わるはずである。

それでもショパン、ネイガウス共に打鍵の発想までは書いているが、それを実行するための筋肉までを彼らの書物から見ることはできなかった。
しかし科学と解剖学の分野でピアニズムの研究が一層進んだ現代では、望みさえすれば誰でも美しい1音が手にはいるようになった。
伝統を音と感覚のみで受け継いでいく時代は終わったと感じている。

150年前、ショパンはコロンブスの卵とでもいうべき「新しい手の基本ポジション」を見つけた。
そのあまりにも美しく、溢れ出る想像力の源であり、全てのピアニズムの本質とでもいうべき基本ポジションを分解しつくすと「耳の解放」「虫様筋」「下部雑音」という答えに行き着いた。

1音を美しく出すだけなら、誰でもできる。才能という言葉で片付けずにピアノと真摯に向き合ってほしい。
日本にも美しい志を持った人が増えるよう活動していきたいと思う。

ピアニズムに関して私たちは、真の現実主義者・実践者でなくてはならない。 ゲンリヒ・ネイガウス