ショパンピアニズムの系譜

ショパンピアニズムの特徴は、何といって音色の美しさであり、歌手の様に美しいレガートで音楽を奏でていく。
その音色は大ホールであっても、すべての客席に響き渡る。

代表的なピアニストでいうとホロヴィッツ、ギレリス、アルゲリッチ、プレトニョフ等が挙げられる。

しかし、なぜロシア人の間でこれほど合理的なピアニズムが広まったのだろうか。

それを紐解くには、ピアニスト、作曲家であるジョン・フィールドを紹介しないといけない。

彼はアイルランド出身であり、父からピアノの手ほどきを受けた後は、作曲家でありピアノ製造を行なっていたクレメンティの元で学び、クレメンティと共にヨーロッパ中を演奏旅行に出かけ、各地で名声を得た。
その後、クレメンティに連れられてロシアのサンクトペテルブルクへ移り、1803年にクレメンティが去った後も、彼はロシアに留まり演奏とピアノ指導の活動を続けた。その後もロシア各地の貴族社会から熱烈に歓迎され、一時は「フィールドを知らないことは、罪悪である」とまで評されていたとされる。

そしてショパンはジョンフィールに感化されて演奏法を編み出している

 

支点について

ショパンピアニズムに移行して間もない頃には、手や腕の支点について言及することがある。

  • 指で言えば第三関節
  • 手で言えば手首
  • 腕で言えば肩甲骨

これら部位ごとに説明するときは、徹底的に支点を意識してレッスンするが
演奏するときはどうかというと、意識することはまずない。

支点の意識は、初期の段階では有効に働き体の使い方が以前よりは格段に上手くなる。
しかし、意識している段階では、必ずどこかに力みが生じてしまうのだ。

  • 指の第三関節を意識すれば、手首と肘はわずかに固まる。
  • 手首を意識すれば、肘と肩はわずかに固まる。
  • 肩甲骨を意識すれば肩がわずかに固まる。

では演奏するときは、どのようにするかというと、

これら全ての意識を捨て音質のみを意識するのだ。

どういうことかというと、
支点の使い方が上手くなると音質はガラッと変わる。
体の使い方を変えて音質を変える作業が終わったら、音質を意識すれば体の使い方が変わるという様に意識する順番を変えていかなくてはいけない。

音質を追い求めて体をそこに合わせていくと、
複数の支点でバラバラだった体が1つに統制されていく。
そこには支点という感覚はなく、エネルギーがどこにもせき止めらず体の中を流れていく感覚になる。

ピアニストは、音によって全身を統合しないといけないのだ。

ショパンの手首の使い方

教師ショパンは生徒たちに自分の持っているピアノに対する知識は惜しげも無く伝えていたようだ。ショパンは打楽器であるピアノに声楽的表現を可能にしようと独自のピアニズムを開発したわけだが、特に手首の使い方には注意を払っていたようでこのような言葉を残している。

手首の動き、それは声楽における呼吸である。

この言葉は日本でもよく聞くが、正しく理解できている方はほとんど会ったことがない。
多くの場合、鍵盤に指がついた状態から弾き始め、弾いた後に手首を使っている。
そうではなく、鍵盤に置いた指を手首と共に弾く前に持ち上げて、そこから息を吐くように打鍵することこそが本来の意味である。

このことをショパンの生徒であったグレッチはこう説明している。

大歌手を手本にしてピアノを弾くという原則を実行するにあたり、ショパンはピアノで息遣いを表現する秘訣をつかんでいたのです。歌手が息を吸う時には、手首を上げた後に、それができるだけ柔らかく歌うように弾くべき音の上におりていかねばならないのです。

*弟子から見たショパンより引用

特に日本では、弾く前は鍵盤についた状態で始まり、弾いた後に手首を上にあげる演奏を多く見る。それではたった2つの音を繋ぐことさえ不可能であり、本人とそれを教えた教師だけが繋いだつもりになっているのだ。
ショパンのレガートは打楽器としてピアノを扱うことから始まる。つまり空中から弾くべき音の上に降りてきて初めて可能になるのだ。

ピアノは打楽器である。ショパンはそれを誰よりも把握していた。そして誰よりも歌手に近づけた。

ショパンの練習法

調律は演奏家でなく調律師の仕事なのだから、ピアニストは楽器の練習のうちで最も難しいことの一つから免れていると言える。従って可能な限り美しい音を簡単に奏でて、長い音符も短い音符も弾きこなし、どんな場合にも高度な演奏力を発揮するには、手が鍵盤に対して最も自然な位置を保つだけで良い。 ショパン 

          *弟子から見たショパンより引用

この序文で始まるショパンの技法の基礎についての記述は、現代でも最も価値のあるものの一つだと思う。
単音から重音について論理的に考えてテクニックを分解している。

ショパンは、精神的な部分とテクニックを分解して書いてあるが、本来はテクニックは精神から生まれて来るべきだと考えており、機械的なリズム練習や音階練習は何の意味も持たないと生徒に言っていた。3時間以上も練習しようものならひどく怒っていたようだ。
リストの意見は反対で、抵抗があり重いピアノで音階から重音など、指を鍛える練習ならば何時間でもどれだけでもするよう生徒に言っていた。
もちろんのことながら、リストはカルクブレンナーの開発した手導器を愛用していたようだ。

*手導器についてはこちらからご覧になれます。

ショパンは気分がすぐれない時はエラールのピアノを、気分が乗っている時はプレイエルで練習していたようだ。しかしエラールはどう弾いても完成された響きが出るため耳が音に満足してしまいタッチの感覚が麻痺してしまい危険だと考えていた。
リストはエラールのピアノを好んで使用していており、ショパンとはピアノに求める世界が違ったのだ。やはりテクニックは精神から生まれるのだと思う。

現代では、どう弾いても良い音が鳴るように設計されているピアノが多いと思う。私のピアノは調律師に頼んでアクションを変えてもらっておりタッチが悪いとすぐに音に反映される。
どう弾いても完成された音が出るピアノでなら6時間でも練習できるだろうが、すぐにタッチの影響を受けるピアノでならショパンの言う通り3時間が限界であろう。

何時間でも練習できるというのは、精神を研ぎ澄ませていないのかもしれない。

ピアニズムの分かれ道

ショパンがパリに出た時、そこで賞賛されていたのは「均質な音」だった。

その第一人者であったのがカルクブレンナーである。
彼の落ち着いた物腰に魅了されたショパンは、親友にこのように書いている。

「パガニーニが完成の極みとすると、カルクブレンナーも彼に匹敵する。あの人の落ち着き、他と比べようもない均質な音を言葉で表すのは不可能だ。あのひとは巨人である。」

ショパンは古典主義への憧憬があったため、クレンメンティの弟子であったカルクブレンナーに夢中になったようだ。しかし、数週間の熱狂の後、カルクブレンナーの演奏に自然さやインスピレーションの欠如を感じ遠ざかった。

演奏法というのは、音楽の考え方に大きく左右される。

整理されコントロールされた音楽、均質な音を求める人は、指の動きに注意を払い出す。
それに対して、音楽の自然さ、ニュアンスを求める人は、指の動きは少なくなり体全体に注意を払い出す。

カルクブレンナーは前者であり、それは前回述べた手導器の考え方を見ればわかる。
ショパンは後者であり、まだ独自のメソッドを完成させていなかったが、根底を流れる音楽観が合わなかったのだろう。

現在でもほとんどの演奏が前者であり、こういった演奏がコンクールでは良いとされている。

カルクブレンナーは、3年間自分のところで勉強しないかとショパンを誘ったようだが、彼は断った。
ピアノに今までにない無限の可能性を求めたショパンはこのように書いている。

「彼の元で3年間勉強して私の計画が前進すれば承知していたかもしれない。ただカルクブレンナーの複製だけにはなるまいと思っており、新しい世界を創造するのだという、大胆すぎる理想を捨てるには忍びなかったのです。」

その後、ショパンは革新的なメソッドを生み出し、現在も一流のピアニストによって継承されている。
日本は200年前のパリと同じような状況ではあるが、少しでもショパンのピアニズムが広まればいいと願う。