脱力の感覚とは、
腕の重さを指にかけないことで指の運動をしやすくする。
その際、手の中は完全にリラックスし、弾いた後に手首と肘を使い力を外へ逃す。
ショパン登場以前には、この感覚が主流であった。
1800年代初期にフランスで名を馳せたピアニスト・ピアノ教師カルクブレンナーがピアノ練習に「手導器」というものを開発し大流行したのだ。
手導器の使用例である。
この器具の上に手首を置き、腕の重さが指に乗らないようにする。こうすると指が腕の重さから解放され自由を獲得する。そうすることで指の運動のみで演奏できるのだ。
フレンチピアニズムには、この影響が多く見られる。
例えばサンサーンスはこの器具を使い練習しており、彼のピアノ作品の発想はこの演奏法からきている部分があると感じる。
そのため彼の作品は器楽的な要素が多く、ピアノが歌うといった発想が少ない。
この手導器に対してショパンは次のように言っている。
散歩をするのに逆立ちの練習をしているようなものだ。
この指だけを使うという発想はショパンにはなかった。
腕の重さをいかに利用するか、いかにピアノを歌わせるかを考えており、ショパンのピアニズムにおいては手導器で用いられる脱力という言葉は全く意味を持たない。
私が教えているピアニズムはショパンのピアニズムに基づいており、レッスン中に脱力という言葉は使わず「リラックス」という言葉にしている。
日本はというと、手導器時代と同じ意味で脱力を追い求めている。