響きの様式感

どの曲でも同じ弾き方をする演奏をよく耳にする。
同じ弾き方というのは、同じ手の使い方=同じ音質で演奏するということだ。

「指は筆」ということを生徒に伝えることが多い。
絵を描くときには「線の太さ」「色の濃淡」に合わせて筆を繊細に変える。
このことはピアノを弾く時も同様であり、指の形は自由自在に変えないといけない。
爪の先で弾く時もあれば、指の腹や、指の第一関節で弾くことさえある。

古典までの作品バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンでは、第一関節を使うことは滅多にない。
それは基本となる音質がロマン派と違うからだ。
古典まででは、あまりビブラートをかけず丸みを帯びた縦に高い音質を基本とする。
ロマン派に入ると、十分にビブラートをかけた横幅が広い音質を基本とする。

これは絵画とも密接に関係しており、時代ごとに絵画を見ると線や色の描き方が大きく違っているのが分かる。
ぼかした線ではバッハの時代の宗教画は描けず、はっきりした線ではドヴュッシーの時代の印象派は描けない。

このように音質と様式は密接な関係にあり、どちらか一方が欠けていても芸術は生まれないのだ。

日本人は音質による様式感の違いに鈍感だと感じる。

聴いた後に「凄い!」という感想を持つ演奏は、総じてこの響きによる様式感がない。
どれだけ鮮明に曲を弾ききるかというコンクールの悪しき慣習が、現代に芸術を生み出しづらくしているように思う。

レガートの本質

ショパンの書いたメソッド本を読んでいると、現代では良くないとされることが多く書かれている。
特にレガートの意識は現代とは大きく違う。

レガート=「指で繋いで」「腕の動きで繋いで」と思われている方が多くいる。

ショパンはどう考えていたか。

彼のレガート奏法の基礎は、なんとスタッカートから始まる。

ショパンが考案した基本ポジション「ミ・♯ファ・♯ソ・♯ラ・シ」を一音一音スタッカートで弾いていくのだ。
そして段々と音価を長くしていく。

レガートを指でつなぐという発想からは生まれもしない練習だ。
彼のレガートの本質は柔軟な手首とペダル、そして耳の使い方にあるのだ。
彼の曲をペダルなしで考えることは不可能である。

そしてペダルに含まれた柔らかい倍音の中、耳でレガートにしていくのだ。
彼のレガートは鍵盤の上には存在せず、空中に存在しているということである。

日本でここまで指レガートが流行る原因を考えてみた。
一つは日本で主流となっている弾き方がドイツ式フランス式であること。
もう一つは音が響かない部屋で練習していること。
特に二つ目の影響はとても大きく感じる。

ヨーロッパの部屋は日本と比べ物にならないほど響き、空気も乾燥しており音がよく振動する。
日本の部屋は住宅事情もあるが、吸音する材質の部屋にピアノが置いてあり倍音が全く響かないのだ。
こういう部屋で練習していると、すぐに減衰する音を補うために「指レガートが大切だ!」と考えても仕方がないかもしれない。

私たちはクラシック音楽を身近に感じているが、実際には日本の国民性や伝統からは生まれなかった文化である。それを考えると自分が正しいと思っている知識で片付けるのではなく、先人達が行なっていたピアニズムを調べてみることは大事だと感じる。
ロシアの大教師、ゲンリヒ・ネイガウスもショパンのメソッド本を読み、感動を覚え研究したと書いていた。

レガートを指の問題で片付けている限りは、ピアノは歌わない。
鍵盤を意識せずに済む体の使い方をし、空中で響く音を混ぜながら繋いでいく。

身をもって認識したことだ。

親指の使い方と円運動

親指は他の指と違う。
この指は見るからに特殊な指であり、使い方にも気を配らねばいけません。

親指というのは本当に厄介な指で、少しでも使い方が間違っていると他の指全てに影響が出て来るのです。

人間の体は自然にバランスを取ろうとする働きがあります。
それは体のいたる所に存在する働きです。

親指が力んでいれば、他の指も同じだけ力み、
親指の指先でピアノを弾く意識があれば、他の指も指先で弾いてしまいます。

注意することは、親指をどこから使うかということです。

「親指の付け根」も他の指と同様に手首にあります。
この「付け根」を意識すると使い勝手は劇的に変わります。

そして「音」も「音楽」も変わります。

それには脳が大きく関係しています。

指先に意識がある時と、付け根(手首)から動かす意識の時では、脳の感覚が違うはずです。
指先に意識があると脳は緊張を覚えますが、付け根から動かすと脳は緊張しません。

細かい運動というのは脳が多く働きます。その時、動きに集中している脳は、耳の働きをおろそかにします。
耳の働きが低下すると、「広がっていく響き」が聴き取れず「ピアノの近くで鳴っている音」で音楽を作ってしまいます。
そういう音で作る音楽は、色彩を感じない強弱だけの世界になってしまうのです。

付け根から動かすイメージを持つことは、どのような運動をするにしても体が滑らかに動くための必須条件です。

歩くときに足の指を意識して歩く人はまずいないと思います。付け根から動かしているはずです。
そうすることにより、人間が本来持っている円運動がスムーズに行えるようになるのです。

円運動というのは、「重力」が「重さ」のある物体に与えた自然な動きなのです。

ショパンピアニズムが「重力奏法」や「重量奏法」とも言われる理由はここにあります。

ピアノは私たち日本人が思っているほど、指先の独立や器用さというものは必要ないように思います。

手首の使い方②

ロシア人のレッスンを受けると、音楽よりも動きのことを教えてもらうことが多い。
自然な動きが美しい芸術を作り上げることを分かっているのだ。

動きが自然になってくると脳の使い方も自然になってくる。そうしてやっと同じ次元で音楽を捉えることができ始めるのだ。

そして手首の動きは何より重要である。

まず導入として、「左手の指」を「右手の手首の下」に添える。その状態を保ったまま1音を弾く。
その際右手はリラックスしていることが大事である。

なぜこうするのか。

この添えるという行動によって、「手首の下」に意識が持てるようになり、「手首の下」から弾く意識が生まれる。
それと同時に、弾いた時に手首が下に下がることを抑えることができる。
細かくいうと、「手首の下」から弾くことができれば弾いた時に手首が下に下がることはなくなる。

大事なことは、指先の存在を忘れること。リラックスしていること。

動きというのは、基本的に動かす部分の根元を意識すると自然に動かせる。
スポーツでもそうだ。一流の人は、自然さを求める。自然さを求めるには人体の構造を知らなければ難しい。
ピアニストは根元ではなく先端を意識して弾く人が大多数であり、そうすることにより、どれだけ能力を抑制していることだろうか。

指の根元は手首である。腕の根元は肩甲骨である。
その他、指先、肘、肩は一切意識することなく常にリラックスした状態でなければならない。

そして手首から弾く意識ができ出すと、下から上に音を飛ばすイメージはなくなる。
感覚としては、ピアノからホールに向けて音が飛んでいくのはなく、最初からホール全体を満たしているという感覚になる。

腕全体が地球の重力の向かう方向である、上から下に向かうようになり、そうすると腕は鍵盤から解放され、意識は音と共に空中で漂い始める。

手首の使い方 

ショパンの腕は静かだが、手首は自在に動いていた。

腕を大きく外に回してピアノを弾く姿をよく見かけます。
この動きが伴うと下から上に向かって音楽を作るようになってしまい、ホールが大きくなるほど響きは濁りだし聴衆は音を聴き取れなくなります。

運動が大きい演奏は、演奏者は音を全く聴けていません。この聴けていないという事実は本人以外でないと分からないのが難点です。
奏者は極めて上手に弾いていると思い込んでいることが多いですが、自己満足な演奏になっており聴衆は置いてけぼりなのです。

試してみてください。一音をペダルで伸ばしたまま頭をゆっくりと前から後ろに動かしてみると、音の聴こえ方は全然違うはずです。
強弱で体を揺らす方は多くいますが、それは自分がそう聞こえる位置に体を移動させているにすぎず、実際は客観性を失った音楽になっています。
もちろん聴衆に届く音は自分には聴こえていない音ですので、聴衆は自分に聞こえる音と演奏者の熱さのギャップを感じ置いてけぼりになるのです。

客観性を持ったまま響きを作るには、体の使い方が大きく関わってきます。
体の使い方を理解しないままピアノを弾いていると、体は本来持っている自然さを失い能力を発揮できません。

手首を自由に使って!

よく言われる言葉です。自分は使えていると思っている方も多いと思います。
重要なのは自在に使えていることではなく、どのタイミングで使うかなのです。これを間違っていては、まずホールを満たす響きは得られません。
そして間違ったタイミングで手首を使っていると、肘は力を逃がすために外側に旋回してしまいます。
肘を使って力を抜くという発想でピアノを弾いている方は多くいますが、これはそもそも無駄な力が指先と手首に加わってしまっているのです。
無駄な動きは、芸術を壊してしまいます。

ショパンは肘を旋回する動きを嫌っていました。このような言葉も残しています。

なかなか上手になってきたが、肘を使いすぎている。 ショパン

つまり弾き方が根本的に違っているのです。そして音楽も自ずと違うものとなってしまいます。

では、どのようにすれば改善できるのでしょうか。これは手首を使うタイミングを意識することによって改善されます。

手首を使うタイミングは、「弾いた後」ではなく、「弾く時」なのです。

弾いた後に力を逃がすために使っている方がほとんどではないでしょうか?

この使い方は間違っており、これでは指先が支点になってしまい腕の重さは鍵盤に伝わりません。
ピアノを弾く時の支点は指先ではありません。

ショベルカーを思い浮かべればわかると思います。地面を掘るあの重機は腕にそっくりです。
ショベルカーが先端だけで地面を掘ることは不可能です。

根元から先端に向かって順番に動いていく。これが自然な動きなのです。

テクニックは、物理的に自然な動きを追求することが一番大切だと思います

私は、この手首の使い方に気がつくまでに一年かかってしまいました。

あとは、響きを求めないといけません。こればかりは文章で説明することは不可能です。
アルゲリッチ、プレトニョフなどのコンサートで実際に生の音を聴いていただきたいと思います。