伝統芸術

歌舞伎、能といった伝統芸能が日本にある。
先人たちが形にした動き、言葉、音楽、色々なものが現代に受け継がれている。

クラシック音楽は、どうだろうか。
クラシック音楽も勿論伝統芸術である。先人たちが築いた型があり、それを何百年と受け継いできている。

日本でクラシック音楽が盛んに行われ始めたのは、ここ何十年のことである。西洋で受け継がれてきた伝統を日本に輸入したのである。
いってみれば日本ではクラシックは異国の音楽であり、異国の伝統なのである。
しかし異文化を抵抗なく吸収してしまう日本独特の国風により、クラシック音楽はあたかも昔から自分たちが引き継いできた伝統ような感じさえするようになった。

しかし、私たちは型を知っているだけなのだ。

私自身がそうであった。今になれば、以前の私は型しか知らなかったと思う。
響きに対する感覚が変わり自分で体現できるようになると、型がある意味がわかり始めた。型は人々の精神を形作る器でしかなく、本質は作曲家の精神が表に流れ出た空中に漂っている響きなのである。

譜面を見て作曲家の精神を理解することは不可能であるが、響きを聴いて、それによって心に浮かぶ景色や心情は、作曲者の精神と近いのである。

伝統を引き継ぐということは、もっと単純なことであることが分かった。

クラシック音楽の伝統とは、響きなのである。伝統を伝えるということは、響きを伝えるということである。

私は、ここ数十年でその伝統は大きく変わってしまったように感じる。それはデジタルの発展とともに加速していったようだ。
生の音よりデジタル音に人々が馴染んでしまい、響きに対する感性が変わってしまったように思う。

私は、プレトニョフ、ババヤンの演奏に出会えて良かったと思う。初めて響きから伝統を感じた。自分が信じていた伝統が間違っていたと感じた。

響きの額縁

音楽は下から作る

日本でも海外でもレッスンでよく言われることです。
バスの配置により同じ和声であっても響きの雰囲気はガラりと変わります。
電子ピアノであっても雰囲気の変化を感じ取ることはできますが、これはあくまで音楽上での変化であり芸術上の変化ではありません。

バスが持つ芸術的な意味を体現するには、ピアノの扱い方を身に付けないといけません。

ピアノの扱い方を身に付けると言うことは「ピアノを響かせられるようになる」ということですが、ピアノを響かせるには響きを受け入れる器がいるのです。
絵画を飾るのに額縁がいるように、響きを作るにも器がいるのです。

この器とは、バスの響きです。

私が教えている生徒の多くは、音が大きくなると鍵盤の底まで押し付けて弾き、音が小さくなると鍵盤の浅いところを弾きます。
このような生徒には、バスの音だけを私が弾いてあげます。

なるべく柔らかく広く深く、、
そうすると音は空中で歌い出します。

次に、バスを強く固く浅く弾きます。
すると、音はすぐ下に落ち空中に漂いません。

何がちがうのか、

やはり音楽を作る器です。

響きを作る広い空間が用意してあると、音は空中に羽ばたけます。
このバスの感覚は、一度自分の身でもって体感しないと理解が難しいものだと思います。

そしてこの響きの深さ広さを体現できると、不思議なことに単音でさえも広い器の中で響きを作ることができてくるようになります。

脳の使い方

不思議に思うことがよくあった。

なぜ自分で弾いている時、他人の演奏を聴いている時、

この時々で聴こえ方が違うのだろう。

 

以前の私は自分で演奏している時に音が遠くに聞こえることが多々あった。特にホールが大きくなればなるほど、そのようなことが頻繁に起こった。

他人の演奏を聴く時は、どんな些細な変化も耳に届き色々な世界を感じ楽しむことができた。

 

また、

自分が練習している曲を他人が弾いていると、不思議なことに音が遠く聴こえた。

全く知らない曲だと、ありのままの姿で音楽が耳に入ってきた。

 

どこが違っていたか今ではハッキリと答えが出た。

 

「脳の使い方」なのである。

 

人間は意識して体を動かしている場合と無意識で体を動いている場合では、使っている脳の場所が違う。

意識して動かす場合は前頭葉を使い、無意識の場合は前頭葉を経由しない。

手作業をしながら音楽を聴いている時とリラックスして音楽を聴いている時で聴こえ方が全く違うのもこの脳の働きがあるからだ。

以前の私は意識的に多くの手作業をしながらピアノを弾いていたので、脳が「聴くこと」より「弾くこと」に意識を割いていたのである。

そして毎日そういった弾き方、聴き方をしていると人が自分と同じ曲を弾いていても脳が耳を勝手に遮断してしまって音が遠く聴こえてしまっていたのである。

一種の職業病であったと思う。

 

音を聴くためには手作業を減らさなければならなかったのだが、当時の自分には知る由もなく、手作業を間違わなく繰り出せるようひたすら練習していた。

 

ショパンピアニズム(重力奏法・重量奏法)を身につけていくとこの感覚は劇的に変化した。

この奏法では指の運動量は非常に少なく、弾く意識はほとんど無くなる。

脳は聴くことに集中できるようになり、魔法のように音が広がり出した。

 

今や普通の感覚になってきたが、自分の演奏中に初めて耳が開いたあの瞬間、ふと上を向くと空中に広がる無限の世界を初めて見ることができた。

 

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ピアノはシーソー

私に十分な長さのテコと足場を与えてくれたら、この地球でも動かして見せよう

古代ギリシャの科学者アルキメデスの言葉です。

 

ホールを包み込むような音を出す時は、この言葉を思い出します。

 

ピアノの構造は以前と比べると複雑になりましたが、基本的にはシーソーの原理、つまりテコの原理で「ハンマー」が「ピアノ線」を打って音が発生します。

シーソーを思い出していただくと分かるのですが、自分がシーソーに座っていて反対側に自分より体重が重い人が乗ると一気に上まで持ち上げられると思います。重い人であれば重い人ほど、持ち上げられるスピードは速くなると思います。

これはピアノについても言えることで、「ピアノを弾く指」はなるべく重い方がいいのです。

重ければ少ない動作でもハンマーが素早く動きますので、指の運動量も少なくて済みます。

ですが指の重さには限界があります。指を上げ下げして弾くということは、指の重さだけでシーソーを動かしているようなもので、すごく大変なのです。

通常の指を上げ下げする弾き方ですと、使えても手首から指先までの重さです。

 

もしも、肩から指先までの重さを利用できたとしたらどうでしょうか。

 

これがショパンピアニズム、重力奏法の基本的な体の使い方です。

 

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言葉の力

私は現在、埼玉県戸田市でピアノ教室を開いています。日々ピアニズムの研究を続けながら生徒に伝わりやすい方法を模索しています。

レッスンを行う中で言葉というのはなかなか難しく間違った伝わり方をしてしまうなと感じております。

以前、体を前後に動かしすぎる生徒がおり、なんとか楽に弾いてもらおうとアドヴァイスしたことがありました。

 

「体が動きすぎてて、それだと自分の音を聴けないよ。あまり動きすぎないで」

 

すると体を動かすまいとカチカチに固まってしまい逆に力んでしまいました。

次に実験をしてもらいました。

一音を鳴らしてもらい、それをペダルで保留。

音を持続したまま目を閉じ体を前後に動かして聴こえ方の違いを感じてもらいました。

 

「前に行くと音が大きくなり、後ろに行くと小さくなる」

 

生徒が言いました。

 

そうなんです!

体を動かさない方が良い理由は、耳の位置が変わって音を聴けなくなるからなんです。体を後ろに引いたり前に倒したりしても実は、

 

『音を聴いているつもり』

 

になっているのです。

 

そこで、

「耳の位置を変えると音が変わっちゃうでしょ?体は意識しなくていいから音をよく聴くために耳の位置を変えないように気をつけてみて」

 

このように助言してみると、体の硬さはとれ音も立体的になりました。

 

自分自身でもそういった経験はよくあり、

 

「脱力」と思うより「リラックス」と思った方がうまくいきます。

「テンポを守って」より「曲の呼吸を邪魔しないで」と思った方が自然な流れになります。

「音を大きくして」より「響きを厚くして」の方が色彩豊かになります。

「よく聴いて」より「耳を天井に置いてきて」の方が立体感が出ます。

 

言葉の力は大きいです。

 

そういったところも日々研究していかなくてはいけませんね。

 

 

 

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